2025年12月5日に公開され、世界中で記録的なヒットとなっている『ズートピア2』。
ニックとジュディという「キツネとうさぎ」のコンビが、現代の多様性や差別の問題を鮮やかに描き出し、多くのファンを感動させています。
しかし、皆さんはご存知でしょうか。
ディズニーには、この2人と全く同じ「キツネとうさぎ」を主人公に据えながら、現在では「存在そのものがなかったこと」にされている呪われた傑作があることを。
それこそが、1946年公開の映画『南部の唄(Song of the South)』です。

なぜディズニーは、かつて自社の象徴であった『南部の唄』を封印し、その「うさぎとキツネ」の魂を『ズートピア』に託したのか。
そこには、80年にわたるディズニーの絶望的な葛藤と、最新作『ズートピア2』でようやく果たされた「浄化」の物語が隠されていました。
今回は、このディズニー最大の禁忌を徹底的に解剖します。
目次
ディズニー史上最大のタブー『南部の唄』とは何か
まず、若いファンや最近ディズニーを好きになった方は『南部の唄』を観たことがないかもしれません。
それもそのはず、この映画は現在、Disney+でも配信されず、DVD化もされておらず、公式には二度と視聴することができない「封印作品」だからです。
なぜ封印されたのか?
『南部の唄』は、南北戦争直後のアメリカ南部を舞台に、黒人のリーマスおじさんが、白人の少年に「うさぎどん(ブレア・ラビット)」が「きつねどん(ブレア・フォックス)」を出し抜く民話を聞かせるという物語です。

封印の理由は、その「描き方」にあります。
- 奴隷制の名残がある時代にもかかわらず、黒人と白人があまりにも「幸せそうに」共生しているように描かれている。
- これが「黒人差別を美化している」「奴隷制を肯定的に捉えている」という批判を長年受け続けました。
ディズニーにとってこの作品は、名曲『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー』を生み出した誇らしい傑作であると同時に、触れることのできない「恥部」となってしまったのです。
スプラッシュ・マウンテンの閉鎖と『ズートピア』の台頭
この『南部の唄』をベースに作られたのが、世界中で愛されたアトラクション「スプラッシュ・マウンテン」です。
しかし、2020年のブラック・ライヴズ・マター運動をきっかけに、アメリカのパークではスプラッシュ・マウンテンが閉鎖され、『プリンセスと魔法のキス』へとリニューアルされました。
東京ディズニーランドでも、その去就が常に注目されています。

ここで、ある興味深い事実に気づきます。
ディズニーが『南部の唄』を歴史から消そうとしたのとほぼ同時期に、彼らが力を入れ始めたのが『ズートピア』というプロジェクトだったのです。
「うさぎ」と「キツネ」の再定義
『南部の唄』のうさぎどんと、きつねどん。 『ズートピア』のジュディ(うさぎ)と、ニック(きつね)。
この組み合わせは決して偶然ではありません。
ディズニーは、80年前の「差別を助長した(とされる)うさぎとキツネ」という記号を、現代の「差別を解体するうさぎとキツネ」へと上書きしようとしたのです。
『ズートピア2』で描かれた「逆失楽園」と『南部の唄』の影
さて、最新作『ズートピア2』に話を戻しましょう。
本作では、これまでのディズニー作品では考えられないほど「差別」の構造が深掘りされています。
マーシュマーケットという鏡
劇中に登場する海洋生物たちの市場「マーシュマーケット」。
この湿地帯の雰囲気、どこか懐かしく感じませんでしたか?

ここは視覚的にスプラッシュ・マウンテン(南部の湿地帯)の精神的後継として描かれているように感じます。
『南部の唄』のうさぎどんは、きつねどんから逃げるために「笑いの国」を探し、イバラの茂みに飛び込みました。
一方で『ズートピア2』のジュディ(うさぎ)は、逃げる側ではなく、ニック(きつね)と共に「追放された者たち」を救うために沼地へと足を踏み入れます。
爬虫類という「新しい差別」
『ズートピア2』で描かれる爬虫類(ヘビ)への差別は、かつて『南部の唄』の背景となった「複雑な社会構造」に対する、現代的な視点でのメタファーといえます。
当時のディズニーに差別の意図はなく、あくまで民話の世界を美しく描こうとしましたが、結果として現代では「偏った描写」と受け取られてしまう。
その歴史的なギャップを、今作は爬虫類という存在を通して真っ向から描き直しているのです。
特筆すべきは、爬虫類が開発した「ウェザーウォール」を哺乳類が奪ったという設定です。
これは、「弱者の文化や技術を強者が搾取し、歴史から消し去る」という、現実の世界史で繰り返されてきた悲劇を反映しています。
これこそが「逆失楽園」の正体です。

ディズニーは、『南部の唄』において意図せず生じさせてしまった「現実と描写のミスマッチ」を、今作の哺乳類たち(マジョリティ)の無意識な振る舞いに投影しています。
かつての描写を単に「なかったこと」にするのではなく、「無自覚な排除がいかに起こるか」を劇中の哺乳類に背負わせることで、自社の歴史に対する最も誠実なアンサーを提示しているのです。
ニックとジュディが「80年前の呪い」を解いた理由
『南部の唄』において、うさぎどんと、きつねどんは、決して「対等なパートナー」ではありませんでした。
彼らは騙し、騙される、捕食者と被食者の関係を抜け出せなかった。

しかし、ニックとジュディはどうでしょうか。
今作『ズートピア2』でニックが放った「誰かに認めてもらわなくてもいい(=承認欲求からの脱却)」という言葉。
これは、周囲が植え付けた「キツネはズルい」「ウサギは弱い」というステレオタイプからの完全な決別を意味します。
「鳥の羽」が意味する未来
映画のラストで落ちてくる「鳥の羽」。
爬虫類(地を這う者)の次に、空を飛ぶ「鳥類」が登場することを示唆しています。
キリスト教的な解釈では、鳥は「魂の救済」や「神の使い」を意味します。
『南部の唄』から始まった「差別と偏見」の物語は、『ズートピア』1作目で哺乳類の内なる問題を解決し、2作目で爬虫類という「追放された者」を受け入れ、そして3作目では「空(天界)」というさらなる高み、つまり完全なる和解へと向かおうとしているのではないでしょうか。
『ズートピア2』を観終わった後、私が個人的に「スプラッシュ・マウンテンをリニューアルするならズートピアでも良さそう」と感じたのは、単なる好みの問題ではありません。
ニックとジュディは、80年の時を経て、ディズニーがずっと言いたくても言えなかった、あるいは間違えて伝えてしまったメッセージを正しく伝え直してくれました。
「誰に認められなくてもいい。ただ、隣にいるあなたを信じること。」
これが、ディズニーが80年間の「封印」を経て辿り着いた、究極の答えなのです。
以上、『ズートピア2』と『南部の唄』についての深掘り考察でした!
