皆様ご覧いただいているブログのタイトルは『人は知るもののみを観る』です。
ディズニー映画考察がテーマなのに、ディズニー全く関係ないタイトル付けるなんて、SEO対策とかちゃんと考えてんのか?と思われても仕方ないと思います。
ayumi14
でもどうしてもこのタイトルにしたかった理由があるんです……
今回はそのお話をします。
目次
世界史マニアは語る
遡ること2005年、私は大学受験を控えた高校3年生でした。
得意科目は英語、苦手科目は生物。
子どものころから親がよく『世界ふしぎ発見!』を観ていたため、歴史や文化は好きだったものの、なぜか世界史がなかなか頭に入ってこず、成績はイマイチでした。
ayumi14
世界史って日本史と違って、いろんな国のことを扱うからそれに頭が追い付かなかったんでしょうね~(言い訳)
しかし受験科目で世界史が必須だった私は逃れられません。
もう自己暗示でした。とにかく自分に言い聞かせ、後はひたすら世界史の教科書を毎日読み漁る。
教科書を最初から最後までアンダーラインを引きながら読み、終わったらまた最初から……と何周もするうちにさすがに頭に入ってきたのか成績も上がりました。
あとは授業で使っている問題集も何周も反復しました。
そうしているうちに、もはやクラスメイトに何を訊かれても世界史なら何でもわかるくらいの域に到達していました。
図らずも世界史マニアが爆誕した瞬間です。
世界史マニアだらけの学部
私が入学した『国際文化学部』は、とにかく文化に関する様々な授業がありました。
第2外国語以外にも様々な言語があったり、ゼミも世界のエリア毎に多種多様な専門性があり、先生もキワモノ揃い。
私は第2外国語でフランス語、ゼミはヨーロッパ美術のゼミを選択しました。
ayui14
ヨーロッパ美術は完全に世界史資料集の見過ぎに影響されてますね
フランス語の授業とゼミが同じメンバーと自然と仲良くなると、みんな共通して好きなのは『世界史』。
先生はコルビュジエ
ゼミの先生は初老の男性の先生でした。
『ヨーロッパ美術史』がテーマのゼミで、フランス語の文献翻訳と個人の自由課題が順に回ってくるシステムでした。
自由課題は本当に自由。
『美術』『文化』に関することなら何でも良いという自由さでした。
教科書はこちら。
ゼミの冒頭で先生が掲げたのがこの言葉。
人は知るもののみを見る
この言葉は先生のゼミで代々受け継がれているテーマで、すぐに私たちも馴染みました。
それから卒業するまでの4年間、私は転籍することもなくその先生にお世話になりました。
(まれに別のゼミに移籍する方もいたらしい。学部内では厳しいで有名な先生でした。)
卒業式で知らされる驚愕の事実
4年生の3月、卒業式の後、各ゼミごとに教室に入って卒業証書を授与されます。
みんな振袖袴に身を包み、談笑したり写真を撮ったり。
そして先生から卒業する私たちに驚愕の事実が知らされます。
『人は知るもののみを見る』は私のオリジナルの言葉ではない
ayumi14
……!?
あれだけドヤ顔でみんなに宣言したのに、あんなにしょっちゅう言っていたのに、てっきり先生の名言だと思っていたのに……
先生曰く『人は知るもののみを見る』はゼミの教科書にしていた『名画を見る眼』の著者・高階秀爾先生の言葉の受け売り。
高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932年2月5日- )は、日本の美術史学者・美術評論家。東京大学文学部名誉教授。大原美術館館長。秋田県立美術館顧問。文化勲章受章者、日本藝術院会員。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%9A%8E%E7%A7%80%E7%88%BE
こうして私の大学生活は驚愕の事実と共に幕を閉じました。
社会人になって思い知る
社会人になり、仕事もプライベートも様々な経験をする中で、気づいたことがあります。
先生が仰った『人は知るもののみを見る』は美術や文化以外にも当てはまる、いわば人としての視野の問題であると。
学生時代は良くも悪くも自分と似たような境遇や価値観を持った人といたとしても、社会人になれば大海原に出て様々な人と出会います。
だから私は、なるべく知的好奇心や知識欲に正直に生きたいと思うし、許すかぎりそうしています。
このブログの最初の記事にも書いたように、子どもとディズニー映画を観るときでもそうです。
知るものが増えると、観るものも増える。
忘れっぽいのでこのブログを備忘録として、タイトルに据えさせてもらいました。
以上、『長続きするブログタイトルには意志がある』でした。