2001年公開の映画『プリティ・プリンセス』考察です。
冴えない女子高生が、ある日突然「あなたは王女です」と告げられる——王道すぎるほど王道のシンデレラ・ストーリー。
でもこの作品、ただのおとぎ話では終わりません。
なにより、これがアン・ハサウェイの映画デビュー作。
のちに『プラダを着た悪魔』で世界的スターになる彼女の、いちばん最初の「変身」がここに詰まっています。

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つまり『プリティ・プリンセス』は“ティーン版プラダを着た悪魔”なんです!
今回は、この作品を彩る3人のプリンセス——ミア、おばあさま、そしてラナ——を軸に、『プリティ・プリンセス』の魅力を考察していきます。

目次
アン・ハサウェイのデビュー作は“ティーン版プラダを着た悪魔”
サンフランシスコで暮らす15歳の女子高生ミアは、目立たず冴えない毎日を送る普通の少女。
ところがある日、突然あらわれた祖母から「あなたはヨーロッパの小国ジェノヴィアの王女です」と告げられ、生活は一変。
戸惑いながらもプリンセス修行に挑むミアの奮闘を描く、21世紀のシンデレラ・ストーリー。
まずキャストがとにかく豪華です。
- ミア・サーモポリス:アン・ハサウェイ(本作が映画デビュー作!)
- クラリス女王(ミアの祖母):ジュリー・アンドリュース
- ジョセフ(王室の運転手兼護衛):ヘクター・エリゾンド
- ラナ・トーマス(学校の人気者):マンディ・ムーア
- リリー(ミアの親友):ヘザー・マタラッツォ
監督はゲイリー・マーシャル。あの『プリティ・ウーマン』を手がけた、“冴えない女性が輝いていく変身譚”の名手です。

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タイトルが“プリティ”つながりなの、偶然じゃない気がします。
そしてなんといっても、女王クラリス役がジュリー・アンドリュース。
『メリー・ポピンズ』『サウンド・オブ・ミュージック』の“ホンモノの気品”を持つ大女優が、本物の王女らしさをアン・ハサウェイに——そしてスクリーンの向こうの私たちに——教えてくれます。新人とレジェンドの共演というだけで、この映画の構図が完成しているんです。
冴えないメガネとくせ毛の女の子が、髪をストレートにして、所作を学んで、洗練されていく。
この「ダサい主人公が変身していく」構造は、5年後の『プラダを着た悪魔』(2006)とまるっきり同じ。しかも両方の主演がアン・ハサウェイなのだから、二本を並べて観ると、彼女のキャリアそのものがひとつの“プリンセス修行”に見えてきます。
3人のプリンセスで読み解く『プリティ・プリンセス』
タイトルは『プリティ・プリンセス』。でも、劇中には見方を変えると3人の“プリンセス”がいます。
この3人の関係を並べると、この映画が本当に描きたかったものが見えてきます。
① ミア=「なりたくなかったプリンセス」
主人公ミアは、王女になんてなりたくありません。
目立つのが苦手で、人前でスピーチしようとすれば気を失うほど。それがいきなり「一国の王女」だと言われるのだから、拒否反応を起こすのも当然です。
だからこの映画は「王女になりたい女の子の夢が叶う話」ではなく、「王女になりたくない女の子が、自分の意志で王女を引き受ける話」。
最後にミアがプリンセスの座を選ぶのは、ドレスやティアラに憧れたからではなく、「自分が誰かの役に立てる」と気づいたから。ここが、ただのシンデレラ物語と一線を画すところです。
② おばあさま(クラリス女王)=「本物のプリンセス」

孫にプリンセスの何たるかを教えるおばあさま、クラリス女王。
彼女は所作や礼儀を叩き込む厳しい先生でありながら、ミアの「自分らしさ」まで否定はしません。むしろ、外側を磨くほどに内側の芯を大事にさせる。

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ジュリー・アンドリュースが言うと「気品」に説得力がありすぎる…!
クラリスが体現しているのは、見た目や肩書きではなく内面から滲む気品です。ミアが最終的に目指すのは、この“本物”のプリンセス。憧れの人気者ではなく、祖母のような人になっていくところに、この映画の品の良さがあります。
③ ラナ=「女王(queen bee)」

そしてもう一人。学校のカースト頂点に君臨する人気者、ラナ・トーマス。演じるのはマンディ・ムーアです。
彼女はチアガールで、可愛くて目立って、みんながちやほやする存在。ただ、ラナは“プリンセス”というより、英語でいうところの「queen bee(クイーン・ビー)」=スクールカーストの女王がしっくりきます。血筋ではなく、見た目と人気で校内に君臨するタイプ。ミアが目指す“気品のプリンセス”とは、そもそも別の生き物なんです。
そして個人的に一番ニヤリとするのが、このラナを演じたマンディ・ムーア。
彼女はのちに、ディズニー『塔の上のラプンツェル』(2010)でラプンツェルの声を担当します。つまり、劇中では“ニセモノの女王”だったマンディ・ムーアが、現実のキャリアでは本物のディズニープリンセスになっているんです。

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学校の女王様が、のちに正真正銘のプリンセスに…!配役の答え合わせが最高すぎる。
面白いのは、物語のはじめのミアが憧れていたのは、クラリスのような気品ではなく、ラナのような“学校の女王”の側だったこと。
つまりこの映画は、ミアが「ラナ型の女王(queen bee)」から目をそらし、「クラリス型の本物のプリンセス」へと向き直っていく物語でもあるんです。3人を並べて初めて、その成長線がくっきり見えてきます。
「本物のプリンセス」になるということ
ミアがたどり着く答えは、とてもシンプルです。
プリンセスとは、ドレスでもティアラでも、人気でも血筋でもない。「他人のために、自分にできることをやろうと決めた人」のこと。
クライマックスで、あれほどスピーチが苦手だったミアが、自分の言葉でジェノヴィアの王女になることを引き受ける。この瞬間、ミアはラナ型の“女王”を追い越して、クラリスと同じ側に立ちます。

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最後のスピーチ、何度観てもちょっとうるっとします。
そして冒頭でも触れた『プラダを着た悪魔』。
あちらのアンディも、ダサい新人からファッション業界で洗練されていきますが、最後は“変身に呑まれず、自分の生き方を選び直す”物語でした。
実は『プリティ・プリンセス』も同じ。外見の変身がゴールに見えて、本当のクライマックスは「変身した自分をどう使うかを、自分で決める」瞬間にあります。ティーン向けのポップで華やかな一本でありながら、芯にあるテーマは驚くほど大人びているんです。
ちなみに続編『プリティ・プリンセス2 ロイヤル・ウェディング』(2004)では、女王になろうとするミアが描かれます。“プリンセス”から“クイーン”へ。あのおばあさまの側へ、ミアが本当に歩いていく物語です。

大人になって観返して思うこと(個人的な感想)
実はこの『プリティ・プリンセス』、私が映画館で観た思い出の作品です。
当時はまだ子どもで、キラキラした変身シーンにときめきながらも、ひとつだけ引っかかっていたことがありました。

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「え、なんでミア、ジョシュにいくの…?」
物語の序盤、ミアが好きになるのは人気者のジョシュ。でも彼は、王女になったミアを利用しようとするような、いけ好かないタイプ。子ども心に「なんでこの人がいいの?」とモヤモヤしていました。
ところが大人になって観返すと、これがぜんぜん不自然じゃないと感じるようになったんです。
アメリカの、あの険しいスクールカーストのなかで生きていくなら、人間的に好きかどうかよりも、「この人と付き合えば自分のカーストが上がる」かどうか——そちらのほうが、生存戦略としては“正しい”のかもしれない。ミアがジョシュに惹かれたのは、恋というより、あの世界を生き抜くための本能だったのだと、今なら思えます。
そう考えると、ミアが最後にジョシュではなくマイケルを選ぶのは、カーストの論理から降りて、自分の気持ちを選び直した瞬間でもあるんですよね。プリンセスの話でありながら、ちゃんと大人の選択の物語になっている。

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ちなみに続編では、ミアはマイケルのことをすっかり忘れています(笑)
余談ですが、続編『ロイヤル・ウェディング』では、あんなに大事に選んだはずのマイケルの存在はほぼ消え、ミアは別の男性キャラクター(演じるのは、若き日のクリス・パイン!)と結ばれます。
子どもの頃なら「マイケルはどうなったの!?」と憤慨したところですが、これも大人になってみると、なんだか自然なことに思えてしまう。人の気持ちも、隣にいる人も、時が経てば変わっていく。そのリアルさまで含めて、私はこのシリーズが好きなのだと思います。
以上、2001年公開の映画『プリティ・プリンセス』考察でした!
